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幸せ競争の勝ち組i

 

 情けは人のためならず

 お金のために働く人は幸せになれない。お金は皆が欲しいのであるから、お金に第一義性を求める人は無駄な争いが避けられず、結局お金も得られない確率が高い。本当に得をしたければ、考え方を改めるべきである。社会のため、組織のため、家族のために働き、その結果としてお金をもらう。労働の対償としてお金をもらうのは当然であるが、そこに第一義性はない。

 日本人の場合、60歳になると経済的にも精神的にも余裕が生まれ、お金のために働く人の割合が減る。男性50代59%→60代48%、女性58%→50%である。現役世代でも「社会の一員として、務めを果たすために働く」人は10%以上おり、特に50代男性の20%がそう答えている(内閣府「国民生活に関する世論調査」2016年)。概して、自己のために働く人よりも他者のために働く人の方がよい仕事をする。自己のために働く人は脳の一部しか使っていないので力が発揮できない。しかも、周りの人が敵に回るから本当に損をする。

 日本人は昔からそのことを知っている。「情けは人のためならず」ということわざがそれを示している。人は社会性をもった時に脳が活性化して大きな力を発揮する。

 正直者が馬鹿を見る

 勤勉で真面目ほど恐ろしいものはない。組織に忠誠心を尽くすだけであればヤクザやカルトと一緒である。日本帝国軍の特攻隊も、イスラム過激派の自爆テロも、滅私奉公に支えられている。偽装工作、隠蔽工作も、真面目な社員によって行われる。「愛国心」という言葉でごまかされてはいけない。国民や国土を愛する愛国心なら賛成、国体護持の「愛国心」なら御免である。社長の立場より消費者の立場を優先させることが、あらゆる職業で常識になることを願う。敵にも家族や仲間がいる。想像力を欠いた正直者は決して幸せになれない。

 「敵を倒すために組織一丸で頑張る」という考えはスポーツだけでよい。そのスポーツも試合が終わった瞬間にノーサイドである。2011年夏、世界一でも馬鹿騒ぎをせず、米国選手に敬意を表したサッカー・なでしこジャパンの宮間あや選手に仏の心核をみた。

 幸せには2つある

 幸せになる方法は2つある。1つ目は願いごとが「うまくかなうこと」、2つ目は願いを「捨ててしまうこと」と、中島みゆきが歌う。私なりに言い換えると、「努力で手に入るものは努力で手に入れる。努力で手に入らないことは諦(あきら)めて、喜んで現実を受け入れる」となる。当り前である。本質的なことはたいてい当り前のことである。「コロンブスの卵」である。当り前のことを歌詞にできる中島みゆきは偉い。

 

 信仰による幸せ

 お遍路(へんろ)に行こうと思えば、仕事を休まなければならない。食費はもちろん、交通費や宿泊費も用意しなければならない。つまり、真面目に働かなければならないのであるから、仕事はきっとうまくいく。少なくとも、目的がない人よりもうまくいく。それが最初の御利益(ごりやく)である。休みが取れて、あるいは定年退職して、お遍路に向かうことができたなら、その時点ですでに幸せである。実際に四国に入れば地元の人に助けられたり、同じ目的の人と出会えたりするのであるからもっと幸せである。

 元旦の初詣で(はつもうで)も幸せを約束する。まず、早起きで損する例はない。階段が長ければ健康にもよい。知り合いにも会え、大事な人にも会える。イスラム教徒もメッカに行く。信仰が人を幸せにするのは万国共通である。信仰心が強い人は悪いことをしないので周りの人も安心して暮らせる。その結果信頼されるので、本人が1番幸せになる。これを御利益という。

 

 相対主義→努力による幸せ

 プロタゴラスが言うように「人間は万物の尺度」である。「絶対的なものはない」ということだけが絶対的である。人は環境の影響を受け、環境に影響を与える。「どっちもどっち」である。被害者にも落ち度があるから、被害者と加害者も「どっちもどっち」である。こういう喧嘩両成敗的な危険思想を相対主義とよぶ。一方、愛智(哲学)は「相対性」の中に「絶対性」を求める。被害者にも落ち度はあるが絶対的に加害者が悪い。智慧(上智)を愛することが肝要である。

 難しいことを避けて楽をする。「要は心のもち方次第である」と言って何でも相対化してしまえば努力は必要ない。だが、この方法では高次元の幸せは得られない。野球のイチローは「自己実現」という言葉を好む。「自己実現」は、米国の心理学者・マズローが言う「欲求5段階説」の最上階(5段階目)に当たる。努力をして勝ち抜いた人だけに与えられる栄冠を「自己実現」とよぶ。

 

 社会性を伴った幸せ

 日本の教育では、数学はパズルで世界史はクイズである。その競争に勝っても頭が良いことにはならない。本当の勝ち組になりたければ他人の足を引っ張ってはならない。実社会では他人を蹴落として幸せになることはない。他人に損をさせれば恨みを買って仕返しされる。「幸せ競争の勝ち組」は、他人を幸せにして自分はもっと幸せになる。例外的にスポーツの試合では相手を欺いてもよい。だが、ゲームセットの後はノーサイドである。

 勉強は「努力」「思いやり」「幸せに生きること」を自覚するためにある。本文を読んだすべての人が「幸せ競争の勝ち組」になることを願う。

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