
第1節 数学教育
本論の役割
ジョン・フォン・ノイマンのゲーム理論,ジョン・ナッシュの交渉理論,ルネ・トムのカタストロフィー理論により,心の仕組みも社会の仕組みも数式で表せるようになった。ジョン・ロールズの正義論は社会の正解を示した。本論の役割は3人のジョンと1人のルネの考えを継承して具体化することである。
真理は多数決では決まらない。地動説も進化論も初めは少数派であった。だが,今では天動説や創造説の方が非常識で,非科学的で,非論理的であることを人々は知っている。
本論の理解も同様である。高校数学がわからなければ本書の理解は不可能であるが,数学教育の普及で市民権を得る。
今は社会の仕組みも心の仕組みも数式で表せる時代である。社会科学も人文科学も確率,数列,ベクトル,行列,微分積分なしでは成立しない。数学なしの大学受験もあり得ない。
ピュシスとノモス
古代ギリシアの学問はピュシス(自然)と政治,法律,制度,慣習,道徳,宗教などのノモス(人為)に分かれる。イオニア学派(ミレトス学派)がピュシスに関心をもったが,ソクラテス以後はノモスに関心が広がった。
まず客体(対象物)が現れ,ずっと後に法則が発見される。この宇宙の始まりはビッグバンであり,この宇宙の外は超宇宙である。数学と物理はこの宇宙の始まり以前から絶対的である。この宇宙の誕生で化学と天文学の客体が,地球の誕生で地質学と気象学の客体が,生命の誕生で古生物学の客体が,人類が誕生して文明が発生するとノモスの客体が現れた。
ゆえに,ピュシスは絶対的であり,ノモスは相対的である。ノモスの代表者である政治家に絶対性はなく,合理性がない政権は崩壊する。
プラトンの四科
プラトンの『国家』は弁証法の理解の前に数学的諸学(算術,幾何,天文,音楽)の習得が不可欠であると言う。算術と計算術はほぼ同義であり,『プロタゴラス』では測量術も同義である。この時代の幾何は主に平面幾何である。目に見える天体を知ることは目に見えない実体を知るための準備である。音楽は数学的には音階学である。
数学は実学であり学問である。建築,商取引,農耕,航海,軍事において実学である。だが,学問としての数学を理解できなければ弁証法を理解できない。ゆえに,プラトンはアカデメイアの門に「幾何学を知らざる者は入るべからず」と書いた。アカデミーの語源から考えても数学なしの学問はあり得ない。
一方,日本の大学の哲学科は数学なしで入学できる。これは悪徳商法である。数学なし組に論理的思考力があるはずもなく,学生ではなくお客さんである。
自由七科
マルティアヌス・カペラの『フィロロギアとメルクリウスの結婚』(5世紀)で,侍女たちが自由七科を語る。カッシオドルスの『聖書ならびに世俗的諸学研究綱要』(6世紀)は第1部「聖書」と第2部「世俗的諸学」(自由七科)に分かれる。3学(文法,修辞学,弁証法)は言語に関わり,4科(算術,幾何,天文,音楽)は数学に関わり,7科の上に神学がある。13世紀以降,7科は専門学部(神学,法学,医学)の前の教養科目とされた。自由七科の4科はプラトンの四科である。
ギリシアでは「自由人としての教養」と「職業訓練」を区別した。ローマでは技術(アルス)が「自由人の技術」(アルテス・リベラレス)と「職人の技術」(アルテス・メカニケ)に分けられた。前者は「リベラル・アーツ」の語源である。
プラトンの四科,自由七科の歴史からも明らかなように,数学なしのリベラル・アーツはない。数学が苦手な者を集めて「教養ごっこ」をやるのは教員の雇用対策に過ぎない。
サイエンスとアート
米国の学位はサイエンス(神がつくったもの)とアート(人がつくったもの)に分かれる。哲学,文学,歴史,地理,美術,建築,音楽はアートである。
サイエンスは応用科学(applied science)と形式科学(formal sciences)に分かれる。工学,医学は応用科学であり,数学,コンピューターは形式科学である。
また,サイエンスは自然科学(natural science)と社会科学(social science)に分かれる。心理学,経済学,経営学,政治学などの社会科学はサイエンスである。
つまり,社会科学はギリシアではノモス,米国ではサイエンス,日本では文系に分類される。心理学科や経済学部の数学なし枠は詐欺である。
慶應大経済学部は90年に数学なし入試を始めた。早稲田大政経学部の真似である。これは受験料収入を増やし,偏差値を上げるための措置である。学問の趣旨に反する。
仏は数学・哲学重視
フランスでは1808年にナポレオン・ボナパルトがバカロレアを導入した。当初は一般バカロレア(Bac Ge)だけであったが,1968年に技術バカロレア(Bac T),1985年に職業バカロレア(Bac P)が加わった。一般バカロレアは自然科学(Bac S),人文科学(Bac L),社会科学(Bac ES)に分かれる。
数学が重要である。大学の医学部はもちろん,グランゼコール(職業大学校)では商業系でもSが多い。哲学は必須である。バカロレアでは3問から1問を選び,4時間かけて答える。15年の高等師範学校(ENS)入試の哲学は「説明する。」(Expliquer.)の一言であった。何を説明するのかも書かれていない。これを6時間で解く。つまり,論理的思考力がなければエリートにはなれない。
北米はACTとSAT
フランスのバカロレアはフランス語圏の大学の入学資格であり,国際バカロレア(IB)のディプロマプログラム(DP)は主に英語圏大学の受験資格である。英語圏以外ではカナダとメキシコにIB認定校が多い。ゆえに,IBはフランス語,スペイン語でも学べる。
民主党時代の11年6月,グローバル人材育成推進会議(議長=官房長官)が「5年以内にDP認定校200校」とする中間まとめを出した。自公時代の13年6月,「18年までにDP認定校200校」とする日本再興戦略が閣議決定された。DP6科目中4科目が日本語で学べるようになり,1期生は16年秋試験,17年春卒である。今後は欧米の大学に進む者が増えるだけでなく,DP取得者を優遇する国内大学が増えるであろう。
DPの各科目は上級(HL)と標準(SL)に分かれる。6科目中3~4科目はHLで履修する。数学はfurther数学HL,数学HL,数学SL,数学スタディーズSLの4段階に分かれる。通常のSLよりさらに下のスタディーズの学生の学力は低く,プラトンの精神に反する。
DPは入学資格ではなく受験資格である。DP取得者の大学合格率は高い方でコーネル大31%,ペンシルベニア大24%,低い方はハーバード大10%,コロンビア大13%である(The IB diploma graduate destinations survey 2011 Country report United States of America 2012)。日本語版DPがこれを上回ることはない。
北米ではACTかSATが必須である。
ACT(American College Test)は英,数,読解(Reading),理科の4科と選択の小論文(Writing)である。理科の問題は事前知識不要である。ハーバード大はWritingも提出させる。ACTは高校の授業との関連性が強い。
SAT(Scholastic Assessment Test)は読解(Critical reading),数学の2科と選択の小論文(Writing)である。12年に受験者数でACTに抜かれ,16年から新テストとなった。読解では難解な用語をやめ,文中から根拠を探す問題に変えた。Writingは選択となり,論述の根拠を重視する。
IBであれACTであれSATであれ,必要な事前知識を減らせば読解力・分析力・表現力で差がつくので資産や人種による格差が減る。